2020年の収穫増補版②イレーヌ・ネミロフスキー『フランス組曲<新装版>』(野崎歓・平岡敦訳)

「面白い戦争文学」というと、なんだか不謹慎な発言のような気がしてしまう。特にその作者がアウシュヴィッツで亡くなった場合はなおさら。というわけでこの本を勧める時、誰もが「面白いです」と言い、大抵の人はその後に「というのも変ですが・・・」とお茶を濁してみたりします。長らく読めなくなっていたそんな作品が新装版で刊行されました。


ロシア移民でユダヤ人のネミロフスキーは、フランスがナチスに降伏しユダヤ人追放政策を取るようになると、パリから田舎に逃れ、そこで『フランス組曲』を執筆しました。先の見えない戦争をリアルタイムで記録しながら、物語として後世に読み継がれるような一級の文学作品にするーーー。そんな作家生命を賭けた作品だから、本当に面白い。紙の配給がなく、小さな紙にびっしり書かれた草稿も迫力があります。


第1部はパリを脱出する人々の姿を冷徹に描き、第2部ではドイツ兵とフランス人の妻の淡い交流を描いています。旧版を読んだ時は第1部のシニカルでタフな文体から一転してロマンティックになる第2部に魅了されて好きな箇所を繰り返し読んだ程でした。
今年新装版が出て読み直してみると、むしろ第1部にはっとさせられました

。ドイツによる侵攻を前に、パリから逃げ出す人々。生き延びるためにかつての生活を捨て、よくわからない先を目指し、行く先々で商品は品薄に。物を溜め込む人、人の不幸に漬け込む人、途方にくれる人。それはコロナ初期の私たち人類の姿にそっくり。自分はネミロフスキーの筆にかかったら、どのように描かれるのだろう?そんなことを考えさせられます。


ところで、『フランス組曲』の草稿はトランクに収められていました。ネミロフスキーに次いで連行された夫が、娘たちに「絶対に手放してはいけないよ」と言ってそれを託します。小さかった娘たちはトランクを抱えて逃げ、生き延び、終戦から60年以上経って、草稿は日の目をみました。旧版も良かったけれど、作品の経緯を思わせる新装版の表紙にもぐっときました。