東欧の文学

「世界がつきつけるこうした困難のことを、ときには考えないようにしたほうがいいんだわ。そうでもしないと、世界はまったく呼吸できない場所になる」

デュラスの『ヒロシマ・モナムール』の中のこの台詞を、最近よく思い出します。

 今必要と感じているものは、多分大きく分けて二つあって、一つは今起こっていることについて、過去の戦争について、伝えてくれるもの。
 もう一つは、暗い時代にあって、それでもまだこの世界を「呼吸できる場所」にしてくれるような、ささやかな幸福や人間の暖かさを感じさせてくれるもの。
 きっと誰もがその両方を必要としているのではないでしょうか。

 前者について、SNSに書くことがうまくできませんでした。軽くもなく、重くもなく・・・そんなことを気にしながら自分に何か書ける内容ではなかったのです。でもどうしても伝えたいので、読みたい方だけが読むホームページで本を紹介することにしました。

以下はリストになります。東欧の定義はいくつかありますが、今回はロシアを除く旧社会主義国を指しています。ロシアとヨーロッパの大国の間で、激動にさらされた国々。大国の利害の中で、他国に勝手に組み込まれたり割譲されたりした地域。戦後も、市民の言論の自由が奪われた地域。その場所で言論により自由を獲得しようとした作家たち。東欧だけではありませんが、東欧の国々はその国が自由であることが、人類全体の尊厳にかかわるような、そうした地域の一つだと思います。

 どこかで見つけたら、手にとってみて下さい。

 彼らの書いたものが、どうか報われる世界でありますように。

・ヨーゼフ・ロート『ヨーゼフ・ロート ウクライナ・ロシア紀行』(ヤン・ビュルガー編、長谷川圭訳、日曜社)オーストリア=ハンガリー帝国領の東ガリツィア(現ウクライナ)出身のジャーナリストであり、作家のロートが見た、ロシア革命直後のウクライナとロシアの姿。

”これまでずっと、私は君に感情的な印象ではなく統計的な事実を伝えようとしてきました。(中略)でも、うまくいきませんでした。この民族は、自分で統計を取ることが許されず、他の民族によって支配され、数えられ、分類され、「処理される」という不幸を背負っているからです。”

・アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』(沼野恭子訳、新潮社)ウクライナのロシア語作家クルコフの代表作。ソ連崩壊後のウクライナで、あらかじめ追悼記事を書くことになった売れない作家の物語。過去の混乱した時代のフィクションとして読んでいましたが、今読み返すとここに書かれている社会背景がウクライナの日常だったのだと気づかされます。

・スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳、岩波現代文庫)母方の祖父はウクライナ人、父方の祖母はベラルーシ人というベラルーシの作家アレクシェーヴィチが書き留めた第二次世界大戦に従事した女性たちのオーラルヒストリー。

・サーシャ・フィリペンコ『理不尽ゲーム』、『赤い十字』(共に奈倉有里訳、集英社)フィリペンコのデビュー作『理不尽ゲーム』はベラルーシの独裁の実態を、長い眠りから覚めた青年の目を通して描くフィクション。
”作者としては幸運かもしれませんが、市民としては大変悲しいことに、この本に書いた内容はことごとく再生産され、いまだに現実に怒っています”(p.2 「作者のメッセージ」より)。
また、ソ連時代の資料を小説に書いて欲しいという読者の依頼から生まれた『赤い十字』はプロパガンダの虚構が人々に浸透する様子を描いています。人間の本質を捉えた描写も一層磨きがかかった傑作。

・ヨゼフ・チャペック『ヨゼフ・チャペック エッセイ集』(飯島周訳、平凡社)『ロボット』や『園芸家の12ヶ月』で日本でも人気の高いチェコの作家カレル・チャペック。その兄で、カレルの作品の挿絵を担当していたヨゼフのエッセイ集。社会主義革命に魅了されながらも、革命の初期からその暴力性に気づいた二人は、社会主義者とナチズムに翻弄されたチェコの歴史を体現した芸術家だったのではないでしょうか。ナチスの強制収容所で亡くなったヨゼフが残したエッセイは、政治と芸術について語りながら、人間の根幹について迫ります。

・ミラン・クンデラ『邂逅 クンデラ文学・芸術論集』(西永良成訳、河出文庫)チェコからフランスに亡命し、自作の仏語訳を経て、現在はフランス語で執筆する著者の文学・芸術論。言論の自由が厳しく制限された社会で文学の在り方を探求した彼の論考は、独自でありながら、芸術の根幹に迫る普遍性を持っています。

・ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(岩津航訳、共和国)ソ連の強制収容所に入れられたポーランドの知識人や将校たちが、過酷な肉体労働と零下40度という環境の中で、人間らしさを保つために自発的に連続講義を行った。奇跡的に生き延びたチャプスキが戦後にこの講義をフランス語で発表したのが本書。

”精神の衰弱と絶望を乗り越え、何もしないで頭脳が錆び付くのを防ぐために、わたしたちは知的作業に取りかかった。”
”このエッセイは、ソ連で過ごした数年のあいだ、わたしたちを生き延びさせてくれたフランスの芸術に対するささやかな感謝の捧げ物にすぎない。”

・オルガ・トカルチュク『昼の家 夜の家』ポーランドとチェコの国境地帯の小さな町ノヴァ・ルダを舞台に、現代と過去、様々な人々の生活の断片、聖人伝やレシピなど、一見ばらばらに見えるものが交錯し、点描画のようにポーランドの歴史が浮かび上がってくる独創的で幻想的な作品。

・アゴタ・クリストフ『文盲』(堀茂樹訳、白水社)ハンガリー動乱の際にスイスに逃れ、そこで一から習得したフランス語で書き上げた『悪童日記』が世界的なベストセラーとなったクリストフの自伝。子どもの頃のこと、亡命の記憶、新しい言語を覚え、母語を忘れていくこと。偉大な作家の、一人の難民としての顔。

・ローラン・ビネ『HHhH プラハ、1942年』(高橋啓訳、東京創元社)ナチスの高官殺害を計画したチェコスロヴァキアのレジスタンス史を研究するフランス人のビネが、他者の歴史や苦しみをどう伝えるのかについて、悩み、試行錯誤した痕跡が本書。他者への限りない誠意と敬意、そして第三者が語ることの重みを感じさせる歴史小説の新境地。